- From: 木田泰夫 <kida@mac.com>
- Date: Wed, 6 Sep 2023 15:56:19 +0900
- To: Kobayashi Toshi <binn@k.email.ne.jp>
- Cc: Yamamoto Taro <tyamamot@adobe.com>, Tatsuo KOBAYASHI <tlk@kobysh.com>, JLReq TF 日本語 <public-i18n-japanese@w3.org>
行長の問題ではなくて、段落の作り方の問題ですので、タイトルを変えました。 > 2023/09/06 13:11、Kobayashi Toshi <binn@k.email.ne.jp>のメール: > > 木田泰夫 様 > > 小林 敏 です. > > 木田泰夫 さんwrote > >>> 行頭そろえの問題 >>> 見た目のバランスが悪い >> >> そのように感じたことがないんですよ。 > > 例えば,図の下に図の左右中央に入りキャプションを配置する場合で,テキストが長文で数行になるケースがあります.この場合,一般に行頭・行末そろえにします.ここの行末が不ぞろいになる場合は,あまりバランスがよくないと思います. 具体的な例がうまく思い浮かばないのですが、これは局所的な問題ではありませんか? また英語だとどうなるんでしょう。 >>> 行末のアキが誤解を与えることがある >> >> これも経験ありません。 > > 私は,けっこう感じています.私の場合,読む方法は,何種類もあって,基本は,流れるようにテキストを目で追いかけて読んでいく方法です.その場合に,以下の場合,その流れを妨げるのです(それはできるだけ避けたい). > かなの連続,とくに同じ仮名が連続する場合(意味をとろうと少し考える) 似た例で、私が文を書く時には文節を超えた漢字の連続は意図して避けようとします。たとえば「今図書館に」は「いま図書館に」にするとか、読点を入れて「今、図書館に」にするなど。仮名はそれよりも頻語が低いですが、読みにくいと感じたら、読点を入れるか、自然に漢字になるなら漢字にしたりするかもしれません。 > 読めない漢字(いっしゅん,そこで考える) 確かに。そんな難しい単語使わんで、と。名前でもよくあります。あとは長くて見慣れないカタカナ語。 > 意味がすぐ読みとれないテキスト(この場合は,読み直す) そもそも難解な内容である場合もありますしね。 > アキがある箇所,それが意味がある場合か,一瞬考えてしまう.これがいや. これは文頭以外は覚えがないかもしれません。両端揃えの文頭に鉤括弧が来ると段落の区切りと紛らわしく混乱します。もしかすると、文末がガタガタなのにはもう慣れてしまっていて、行末にある段差に特段意味を見出さなくなり、その代わりに、より大きな役目を行頭の段差に見ているのかもしれません。 意味があるかどうかではなくて、意識を持ってゆかれて集中が乱される嫌なアキはあります。一つは、両端揃えテキストの中に英語熟語が入っていて、その単語間空白が異様に大きくなっていたりするケース。とても読みにくくびっくりするので和字の間に分散してよと思います。もう一つは、長いルビや英単語による行の調整のために字間がとても大きくなる場合。印刷においては見つけて対処することが可能ですが、デジタルでは避けられない。 このような個人的な経験が私の疑問に影響しているんでしょうね… > 約物のアキが正常でない(これは私だけかもしれない,アキを見る目が訓練されているせいかも) > ルビの配置が普通でない(これは私だけかもしれない,流れるように読んでいく場合でも,つい,そのルビの配置を見てしまう) > 字間が調整されている場合(これは私だけかもしれない,なんでそうなるのか参考のために見てしまう) この辺りはプロの性ですね。私も、以前は広告などを見た時に内容が入ってくるよりも書体が気になったりしていました。あ、あれはヒラギノ、みたいな。:D >>> これ以外に,全角下ガリで段落を区切りを示す場合,あいまいになる場合がある. >>> これを避ける場合,段落の区切りとして1行アキにする方法があるが,これは短文の >>> 場合はよいが,長文の場合,区切りが大きすぎて,あまり読みやすいとはいえない. >> >> これも、、、読みにくいと思ったことがありませんが、字下げと一行空けでなぜ違い >> があるんですか? >> >> 感じたことがありませんばかりのレスポンスになってしまって申し訳ない気分です。 > > 流れるように読んでいく場合,段落の区切りは,かなり重要です.その段落の区切りがあいまいになることは,それなりに経験しています.段落末尾行で空いていることが1つの助けになっています.行頭そろえになると,それが保証されない(ですので,行頭・行末そろえでも,段落末尾行がいっぱいの場合は,問題がでる.) とすると、そのような場合には次の行に送るようなルールを作るべきでありません? 段落末は最低一全角分空けなければならない、段落途中の行末に句点が来てはならない、みたいな。 > ですので,横組などで,段落の区切りとして,段落先頭行を1字下ガリにしない方法もありますが,これも,私にとってはあまり読みやすくない. これは慣れの問題ですか?それとも日本語独特の根本的な問題が隠れているんでしょうか? たとえば英語ではパラグラフの作り方がある時点ではインデントだったものが、その後に一行空けに変わった、と読んだことがあります。きっと当初は反対が出たに違いないと思うんですよ。 > 次に段落の区切りとして1行アキですが,以下の本がそれに近い方法です(全てではないが,多くの段落で1行アキにしている).この本を読んでの印象です.読んでいく流れを阻害するように感じたのです(つまり区切りとして大きすぎる).(ですので,ここで言っていることは,あくまで長文の場合です.) > > 岡嶋裕史著“Web3とは何か NFT、ブロックチェーン、メタバース”(光文社(光文社新書),2022.12.30) > >> ところで、まっったく別の議論ですが、日本語の段落と、英語で言うパラグラフって >> 似た存在のようで役目が全く異なりますよね。英語のパラグラフは明確に意図された >> 意味の塊です。日本語の段落は、読みやすさのための任意の区切りです。読みやすさ >> 段落が集まって意味段落を成すという概念は一応あるようですが、段落というものが >> 第一義的に読みやすさのためであることに変わりはありません。 > > そんなことないですよ.日本語の段落は,意味で区切るのではなく,読みやすいように適用な分量で区切るという説明は,よく聞きます.しかし,日本語の本でも,意味で区切る本は多いですよ(私の読んでいる本の性格にもよりますが,小説はたぶん1割くらいかな). そうあって欲しいと思います。段落に明確に意図的に意味を持たせるのはとても良い文書の書き方だと思うからです。そうすると、段落からなるフレームワークで文章を組み立てることが可能になって、日本人の書く文書がもっとわかりやすくなる。 しかし小学校では適当な分量で区切ると教えていたと思います。現在はどうなんでしょう? > 私は,この意味の塊ということで段落の区切りを理解し,読んでいく場合が多いのです.その意味では,見出しも意味のまとまるを作るという意味で,読む際の重要な手がかりです.それは翻訳書でも,日本語の本でも同様です. > >> それを考慮に入れると、一行空けの形式を使う場合には、これは日本語の段落ではな >> くて、英語で言うパラグラフとして扱って、一つの意味単位として作るべきなのかも >> しれません。さらに余計な議論に入りますが、そうすると、日本語の字下げの段落と、 >> 一行空けのパラグラフを混在させることも意味のあることかもしれません。小林さん >> のお好きそうな話題ですね。 > > 1行空けのパラグラフの問題として,細かい問題が1点ある.それは,段落間を空けないで,行頭を1字下げとする場合ですが,段落の区切りに加えて,さらに意味のある区切りとして,見出しを立てるほどではないが,意味の区切りが段落より大きくなり,1行アキにする方法があります.このような意味の区切りには,全体が1行アキの場合,別の方法にしないといけない.2行アキかな,ちょっと違うように思う.アステリクかなにか,記号を入れる方法かとか,何か考えないといけない. > > この意味の区切りが段落より大きい1行アキの方法は,実はけっこう便利な方法なんです. なるほど。英語でも空間を大きくするなり、何かの記号を配置するなり、何らか工夫をしている例があるように思います。 木田
Received on Wednesday, 6 September 2023 06:56:39 UTC