- From: Yasuo Kida (木田泰夫) via GitHub <sysbot+gh@w3.org>
- Date: Fri, 09 Jul 2021 05:48:08 +0000
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> なぜ小書きだと音韻の認識が簡単でないのでしょうか? 村田さんの説明の私の理解ですが、小さく書かれていることが問題なのではない、ということです。問題なのは、一つの音が複数の文字で表現されていること(文字の粒子が細かい)。例えば「きゃ」は一つの音ですが、二つの文字から成っています。 この理解が正しければ、小書き、と一括りで議論するのは間違いかもしれません。拗音、促音、長音、で程度が違うのではないかということです。拗音はまさに一つの音が複数の文字で示されています。長音は前の音を伸ばすので、少々の修飾ですが、切って同じ母音を重ねても大丈夫。促音は、前の音はあまり変化させず、どちらかというと間に何かが挟まるように思えます。例えば、ザカザッカ、ザシザッシ、ザタザッタ、ザパザッパ、と発音してみると、ザは皆同じように発音され、次にその後ろの文字の子音の前兆的な音が挟まりますが、なんならそれを無視して、単に間に一拍を置くだけでも十分促音として認識できます。実際にどうなのかは、ディスクレシアを考えるときの「音」とは具体的にはどのような単位なのかに影響を受けそうです。場合によっては撥音「カン」だって前の文字と繋げて一つの音「kan」と認識されている可能性だってありそうです。小書きかどうかという図形上の特徴に惑わされてはいけないのかもしれません。この辺り、研究が待たれますね。 今は、拗音、促音、長音が泣き別れるのが怪しそうだぞ、というところまでしかわかっていなくて歯痒いところです。 -- GitHub Notification of comment by kidayasuo Please view or discuss this issue at https://github.com/w3c/jlreq/issues/285#issuecomment-876931466 using your GitHub account -- Sent via github-notify-ml as configured in https://github.com/w3c/github-notify-ml-config
Received on Friday, 9 July 2021 05:48:14 UTC