- From: Kobayashi Toshi <binn@k.email.ne.jp>
- Date: Fri, 27 Oct 2023 08:40:26 +0900
- To: Koji Ishii <kojii@chromium.org>, 木田泰夫 <kida@mac.com>
- Cc: JLReq TF 日本語 <public-i18n-japanese@w3.org>
石井 様 木田 様 小林 敏 です. Koji Ishii さんwrote >私見ですが、二つの仮説を普段考えています。一つ目は、読むスピードと飛ばし具合の調節です。以前ご紹介した「オンスクリーンタイポグラフィ」に佐藤好彦さんが「見出しの場合は、ひとかたまりの情報として目に入ってほしいので、本文よりも文字詰めをしたくなることが多い」という一節があります。敏先生が数日前にここに投稿してくださった『日本中世に何が起きたか都市と宗教と「資本主義」』の写真でも、見出しは、級数が同じでありながら、隣の本文よりも10%くらい詰まっています。ちょうど同じ文字が並ぶのでわかりやすいですね。マガジンハウスで雑誌デザインの仕事をした時には、本文は、デフォルトで長体(縦書きなら平体)をかけつつ、10%から20%くらい詰める(CSSで言えば`letter-spacing: -10%`ですね)実ボディが小さめのフォントだと30%詰めることもある、と習いました。詰めて、アキをなくしていくと、佐藤好彦さんが書かれたように「ひとかたまり」になり、それだけ、斜め読みしやすくなる、読む速度が上がる、ということなのだと理解して>います。 紙の書籍でも見出しは詰めること,けっこうある. 見出しは文字サイズが大きくなる.→字間が目立つ,→つめたい 特に括弧などアキが目立つ →四分アキにする(私はだいたいそうしている,ベタにしている出版社もある) 本文は変えるとこっけう面倒だが,見出しを変えても影響でない.すこし手を入れる といった事情もあります. >書籍の方には(このMLで書籍の話を私がするのはすごく気が引けますが)読む速度が速くなりすぎないように気をつけている、というお話もお伺いました。斜め読みをする、ということは、一部を読まずに、読者の推測で補ってしまうことなので、作家としてはありがたくない場面もあると。せっかくの伏線を読み飛ばされてしまったりとか。アキをしっかり作り、游明朝やリュウミンなど細めで実ボディも小さめのフォントで、白い部分をたくさん作ると、ゆっくり、じっくり、一字ずつ飛ばさずに読んでもらえる、と聞いて、意識してみると、なるほど、と感じます。 斜め読みは,私はよくやる.その程度の内容なのでと思うから.でも多くは内容をしっかり読まないといけないので,しっかりと読む.形式より内容をまず考えたら,というのは言い過ぎか,ということはさておいて. 読む際によく感じることは,ツメ組は,どうも読みにくい,なにかひっかかるようでいや,ということをよく感じる.読みなれた文字の配置がよいという慣れの問題かとも思うが,よくわからない. >逆に、雑誌や見出しよりも、もっと「ひとかたまり」にしたいのは広告で、こちらは詰め組が普通ですよね。斜め読み、というより、縦読み(横組の場合)とか、目線をほとんど動かさずに見るだけ、とか。たくさんの文字を詰め込みたいから、という説もありますが、詰めることで、ひとかたまりの図形としての見た目の美しさと、飛ばし読みできる速さを出すのが主眼ではないかと思っています。 特に広告は,文字組が一つにまとまった印象を与えたいということかな. >そう考えると、より忙しく「タムパ」重視の時代に合わせて、より詰めるスタイルが好まれるようになっていく、というのも説明が付きます。25年前にJAGATなどでMS Wordの行頭の調査をした時には、「行頭開き括弧はすべて二分下がり」を好まれる方が、半分くらいはいたような気がします。 > >一方で、これはプラシーボ効果かもしれないとも思います。そう聞いてしまったので、そう思えるだけかもしれない。二つ目の仮説は、木田さんも書かれているように「慣れ」なのかな、と。本を読む時は、きちんと時間を作って、お茶を入れて、ゆったり読む。その時は、いつもこういう組版。Webや雑誌は、ザッピングしながら読む。時間>が一分しかないとわかっていても、ちょっと開いて、読んで、終わりにできる。その時は、いつもこういう組版、という慣れですね。ポータルサイトやPowerPointスライドは中吊り広告みたいだし、昔「すべて二分下がり」を好む人が多かったのは、活版組版や原稿用紙に慣れていた人が多かったから、とか。 > >もっとも、私は組版の大家を目指しているわけではなくて、分析してしてシステムを考えたいだけの人なので、「書籍>雑誌>広告・グラフィックス」の順に「アキを削る」「詰めたくなる」「白い部分が減る」傾向を見て、それぞれ目的があるのだ、優劣があるわけではなくて目的によって使う道具が変わるから、どのパターンも必要なのだ、と理解することが私には重要で、調べていく中で自然に仮説を思いつきはしますが、検証するところまでは行きません。 そう私も思います.ドキュメントの目的により,組版も変わってきます.広告は無理しても,なんとしても読んでもらう必要がある.書籍は,私は,これ読みたい,と思って読みますから.雑誌は,私はあまり読まないから,よくわからない. >そういう立ち位置なので、この中でどれか一つ、一番推しを決めましょう、という議論になると、Webと書籍では答えが違うのではないか、とか、我々のよく知らない他の分野の組版では、違う答えがあるのではないか?と検証したくなるんですね。 Webと書籍は,違うと思います.経験を積む中で,いろいろ考えないといけない.書籍はそれなりの経験があるが,Webは,これからだと思います.
Received on Thursday, 26 October 2023 23:45:15 UTC