- From: Taro Yamamoto <tyamamot@adobe.com>
- Date: Thu, 7 Sep 2023 17:25:04 +0000
- To: 木田泰夫 <kida@mac.com>
- CC: JLReq TF 日本語 <public-i18n-japanese@w3.org>
- Message-ID: <DM8PR02MB807013FF7AEC3BD9E43E4538CEEEA@DM8PR02MB8070.namprd02.prod.outlook.com>
木田様、 >> 反対していることがあるとすれば、それは、行長を文字サイズの整数倍に設定するか、しないか、ジャスティファイするか、しないか、の二者択一の問題にしてしまって、その上で、現代のWebでは、行長を文字サイズの整数倍に設定しないで、ジャスティファイしない方法を許容すべき場合が多い、そして、それが将来主流になるに違いないのだから、それだけを奨励すべきだ、という考えがあるとしたら、それには反対だ、というのが私の考えです。 > とすると、私はそんなこと一言も言っても、考えてもいませんので、その点は安心していただいて良いかと思います。 それは安堵いたしました。 私が懸念していたのは、例えば、しばしば「現在の日本語のwebのページは既にほとんどがジャスティファイせずに組まれていて、人はそれに慣れているのだから、それが常態に違いない」というようにもとれる議論があるように感じますが、そういうように現状を肯定してしまうことは、日本におけるタイポグラフィという技芸全体を衰退させる方向につながるのではないかということです。 なぜなら、別のところでtext-wrap: balanceについて議論されていましたが、欧文のタイポグラフィでは、たとえ現時点では技術的な制約があっても、タイポグラフィの効果を高める上で有効な選択肢であれば、むしろ先取りして、これまでも幅広い選択肢が提供されてきました。CPUの性能が良くなればなるほど、DTPだけでなくwebページを制作するデザイナーや開発者にとっての表現形式の選択肢も拡大されてきたはずです。例えば最近のVariable Fontsもdynamicなタイポグラフィを実現する上で有効な技術として構想され、最初は欧文フォントで実現されました。 欧文の場合には、紙の上の印刷だけでなく、web上でも、ラギッドであれジャスティファイであれ自由に、伝統的であれ現代的なものであれ、種々のタイポグラフィの様式が選択できるようになっています。つまり、印刷かWebかを区別して考えるのではなくて、15世紀ドイツのグーテンベルクや15–6世紀イタリアのアルダス・マヌティウスの時代から20世紀のモダニズムのタイポグラフィを経て、その後の人文主義サンセリフの台頭や、ポストモダニズム論争などを経験しながら変遷を遂げてきた西洋のタイポグラフィの、典型的な様式のすべてについて、紙の上の印刷であれ、web上であれ、デザイナーに対して幅広い選択肢が与えられています。最近のOpenTypeの拡張の議論についても、ただdynamicなタイポグラフィや多言語の処理に必要だからというだけでなく、さらに洗練された文字の形の再現を可能にするための提案も含まれています。 つまり、欧文のタイポグラフィの世界においては、「紙の上の様式は過去のもので、現在のweb上では行われていない様式だから」という理由で、新しい装置環境で、伝統的なタイポグラフィの表現形式の選択肢を狭めてしまうようなことは、行われてこなかったはずです。極端な例で言えば、過去において、画面上に80文字×25行しかキャラクターディスプレイが表示できなかったから、同じ画面上に日本語を表示したら、行間が詰まり過ぎてしまった。けれども、それを我慢して使い続けるしかなかった。というような、本末転倒の状況は避けるべきだと考えます。 日本のwebデザイナーや開発者も、欧米のデザイナーや開発者と同じように、自らの出版・印刷文化が誇るタイポグラフィの伝統の成果と未来への可能性の両方を、すべて享受し活用できるようにしていくべきでしょう。同じようなことが30年ほど前にDTPが日本に導入された時にもありました。フォントによって縦組みの先頭位置がバラツキ不揃いになる、とか、まともにベタで組めない、とか、段落先頭行の位置が不正確だとか、等々。日本語組版にとって致命的な問題がありました。もし、あの時にDTPにおける日本語組版の品質の改善に取り組まなかったら、劣化した偽物の「日本語組版」が氾濫しただけでなく、それを不可避の現実として受け容れざるを得なかったかもしれません。 本来日本語のタイポグラフィが金属活字、写植、電算写植、DTPの時代を経てどのように形成されてきて、どのような理由で現在の姿になっているのかを理解した上で、幅広い選択肢を新しい装置環境上に提供するにはどうしたら良いかを考える必要があると思います。当然、ダイナミックなタイポグラフィに対応するためには何が必要か、Webの上で何が必要とされるかについても考える必要があります。それらは、既存の日本語組版の形式の省略や抜粋ではなく、拡張として実現されるべきでしょう。 しかし、Web上の日本語タイポグラフィの現状というものが、実は、日本語タイポグラフィの表現形式の可能な選択肢のすべてがこれまで十分には提供されていなかった結果の集積として形成されたものであったとしたら、その現状を、ただ「今はもう多数が受け容れて、慣れてしまったから」という理由で、無批判に受け容れてしまうと、日本におけるタイポグラフィという技芸のもつ価値を毀損し、その歴史的な継続性を破断してしまう危険性が生まれかねません。 > 前者二つはある程度良く理解できたように思っています。まだわからないのは三つ目。敏先生が言われた「この問題は,解決策は少ないのですが,何か考えないといけないと思っています」です。この点に関して山本さんや敏先生のお知恵を拝借したいです。 > そして前提が崩れている場合にどのようにすべきか、 これについては、これまでも議論されましたが、次の方法が考えられると思います。この点については、強い反対意見はないのではないでしょうか。 -- ジャスティフィケーションしない、行頭揃え・行末成り行き(ragged right)の行揃え方法を許容できるようにする。 -- 行長を文字サイズの整数倍に制約しないことを許容できるようにする。 日本語組版においては、相対的にstaticに書式が指定される場合には、常に、ジャスティファイすることが望ましく、その場合には、ジャスティファイする組み方をデフォルトにすべきでしょう。その場合には、行長は文字サイズの整数倍に制約される必要があります。 他方で、相対的にdynamicに時間軸上で頻繁に書式や表示環境が変化する場合には、効率上、ジャスティファイしないことが優先される場合があるでしょう。その場合には、行長に対する制約も解除可能にすべきでしょう。 > 石井さん曰く: > それでも整数倍にする意味がある、という話をこの本で読みました。 現在存在する日本語のフォントの大多数は全角正方形の仮想ボディ内でデザインされた書体デザインを実装していることは、非常に重要なポイントです。 和欧混植や仮名ツメ(OpenTypeの'palt'を使った疑似的なプロポーショナル字幅)が行われる場合があっても、そのことは、日本語の文字のデザイン自体がプロポーショナルになることを意味しているわけではありません。つまり、従来の日本の文字のデザインが用いられ続ける限り、現時点では、常に、ベタ組で組まれる可能性を排除できないのです。一旦、'palt'をOnにしてツメて組んだとしても、それを本来のベタに戻す必要がある場合がないとは言えません。その時に、正常な字間スペーシングを保証するには、行長は文字サイズの整数倍でなければなりません。だから、InDesignで文字を組む人は、たとえツメ組を行う場合でも行長を文字サイズの整数倍に制約するフレームグリッドを使うことに合理性を感じていると思います。現在の正方形の仮想ボディの範囲内でデザインされた書体を使っている限りは、たとえツメ組を行うことがあったとしても、やはりベタ組が、立ち返ることのできる原点なのであり、その原点は不可欠であり無くせないのです。 既に別のメールでも書きましたが、将来、もし正方形の仮想ボディ内に漢字や仮名をデザインする習慣が完全にすたれてしまって、大多数のフォントが、古活字版の仮名のようなカリグラフィックなプロポーショナル書体デザインのものばかりになり、新聞も単行本もwebページも全部そのようなフォントで組まれるようになったら、まさにその時こそ、これまで述べてきた伝統的な前提が崩壊する時に違いありません。しかし、そうなる必然性があるとは必ずしも思えません。なぜなら、現在既に用いられている日本語のプロポーショナルフォントの多くは、携帯デバイスでの狭い画面に対応するために、一行の収容文字数を単純に増加することを目的にして、字幅を一定の比率でコンデンス(狭く)したものだからです。欧文のように、個々の文字が、固有の字幅をもち、連綿のために多様な合字を有するようなカリグラフィックなフォントは、きわめて少数しかないのが現状です。このことは、例えば古活字版や木版による、活版印刷技術導入以前の日本の刊本で用いられた、流麗な連綿を含むプロポーショナルの書体が、はたして現代において読みやすいかどうか、ということにも関連しています。また、プロポーショナル日本語書体は、縦組・横組の両方向に対応するためには、1つの文字に対して縦用・横用の2つのグリフをデザインするか、そうする必要が無い場合でも、最低限1つの文字につき2組のグリフの位置(サイドベアリングを含む)及び字幅情報をもたせる必要が生じ、通常の全角ベースの書体に比較してデザインしてフォントにするために必要な作業量は大幅に増加します。他方で、デザインの表現形式をより多様にする目的で、さらに新しいプロポーショナル書体がデザインされる可能性が広がっていることは否定できません。しかし、そのことだけによってプロポーショナル日本語書体が将来多数を占めることは必然だ、と言い切れるとは思えないのです。 山本 From: 木田泰夫 <kida@mac.com> Sent: Wednesday, September 6, 2023 10:47 PM To: Taro Yamamoto <tyamamot@adobe.com> Cc: JLReq TF 日本語 <public-i18n-japanese@w3.org> Subject: Re: 行長は全角の整数倍であらねばならないか EXTERNAL: Use caution when clicking on links or opening attachments. 2023/09/06 19:17、Taro Yamamoto <tyamamot@adobe.com<mailto:tyamamot@adobe.com>>のメール: 反対していることがあるとすれば、それは、行長を文字サイズの整数倍に設定するか、しないか、ジャスティファイするか、しないか、の二者択一の問題にしてしまって、その上で、現代のWebでは、行長を文字サイズの整数倍に設定しないで、ジャスティファイしない方法を許容すべき場合が多い、そして、それが将来主流になるに違いないのだから、それだけを奨励すべきだ、という考えがあるとしたら、それには反対だ、というのが私の考えです。 とすると、私はそんなこと一言も言っても、考えてもいませんので、その点は安心していただいて良いかと思います。 下農さん曰く: もちろん、これは、活版以降の基本版面からおろしてくる"美しい"日本語組版をなくすという話では全くなく、状況が変わってきている中で何らかの指針を「追加で」出さないと困る場面が増えていることに前もって対応する、という議論かなと思ってるのですが、いかがでしょうか? まさに。 私は、どのような場合にどのような理由で整数倍が意味を持つのか、どのような場合にその前提が崩れるのか、そして前提が崩れている場合にどのようにすべきか、を理解しようとしているんです。今までより多様でこれからも変化してゆくデジタルの世界において、このような判断のための材料こそが jlreq-d にあるべき情報だと信じるからです。 前者二つはある程度良く理解できたように思っています。まだわからないのは三つ目。敏先生が言われた「この問題は,解決策は少ないのですが,何か考えないといけないと思っています」です。この点に関して山本さんや敏先生のお知恵を拝借したいです。 石井さん曰く: それでも整数倍にする意味がある、という話をこの本で読みました。 オンスクリーン タイポグラフィ 事例と論説から考えるウェブの文字表現 https://books.rakuten.co.jp/rk/0c967e647bea36be8d4195f556ffb7ff 石井さん多謝。早速購入して読み始めました。 木田
Received on Thursday, 7 September 2023 17:25:17 UTC