Re: 行長は全角の整数倍であらねばならないか

敏先生、山本さん、

小旅行より戻ってきました。敏先生、山本さんとの議論で随分自分なりの理解が進んできました。付き合っていただいてありがとうございます。

インラインで:

> 2023/09/02 14:12、Kobayashi Toshi <binn@k.email.ne.jp>のメール:
> 
> 木田 様
> 山本 様
> みなさま
> 
>  小林 敏 です.
> 
> 木田さんの以下の問題,いいたいことはわかるのですが,ちょっとあいまいのように思います.
> 
>> 後者の方がまだマシな問題に思える。
> 
> の比較しているのは,どれですか?
> 
> 行頭・行末そろえにした場合に,
>  行長が整数倍にしても字間の調整はある.特にラテン文字や数字を含む場合
>     これと
>  行長が整数倍しないで,多くの行で,一定のアキがでる+その他による行の調整
> 
> と比較して,後者が劣る点は何か?
> 
> それとも別か?

不明確ですみません。私のマシに思える、は、行長が整数倍であるかどうかによって引き起こされる現象である「行長が整数倍でない場合、かつすべての文字が全角の場合に、統一して余分のアキがある」問題と、現実的にはすべての文字が全角でないために起こる現象である「行長が整数倍であっても、すべての文字が全角でない場合、アキない行もあるが、ある行もあって、行によってその量が違ってバラバラになる」問題とを比較すると、前者の方が統一されているだけまだマシに思える、との意味でした。

すべての文字が全角で、かつ行の調整要因が非常に少ないゆえに、ほぼすべての行の自然な長さが全角の整数倍であるとみなせる場合は、行長が整数倍でない場合に限って文字間に余分のアキが生まれます。山本さんの触れられた文字配列におけるデザイン精度の重要性を考えると、ある程度長い行であっても、整数倍が好ましいでしょう。もちろん可変レイアウトにおいて行長の仮定は持てませんし、テキストの中にイメージなどが挿入されて行がより短い単位に分割される場合もありますので、整数倍であることはより重要となります。

対して、理数系や経済系のテキストに典型的なようにほぼ毎行に非全角要素のある場合、行長が整数倍であっても、余分のアキ量は行によってバラバラになります。長い単語や長いルビがあると調整量が非常に大きくなる可能性があります。上記のデザインの精度云々は破綻し、二次的になります。とすると、この場合には、整数倍であることの意味は少なくなるのではないか、との思考実験です。


> 前の理解でよいとすれば,以下が言える
> 
>  行長が整数倍しない場合,多くの行で,一定のアキがでる これがまず問題
> 
>  次に,その他による行の調整において,行長が整数倍にした場合より,行長が整数倍しない場合の方が調整量が増える可能性がでる.というのは,行長が整数倍にした場合に比べ,行長が整数倍しない場合の行末のアキが追加されるので(もちろん,行末のアキがちょうど行の調整量に該当し,行長が整数倍にしたよりはよい結果になる場合もあろうが,それは少ないのではということ)
> 
> なお,ラテン文字やアラビア数字が多く入る例は,最近は増えているが,そうでない例もある.特に縦組では,ラテン文字の一部やアラビア数字は,縦向きにするので,行の調整処理の問題はでない.
> 
>> 文によっては欧文単語が多く挟まります。「ジャスティファイしても一切ばらけないのが常態」だからこの問題は無視できるとは全く言えないと思います。
> 
> そうです.この場合は,行の調整処理がでる可能性が高い.実は,この問題は,文字幅がプロポーショナルという問題に加え,ラテン文字の単語やアラビア数字が通常は分割できない,ということです.これの答えは,簡単にいえば,お手上げであり,なんとも対応の方法がない,ということです.
> 
> ただ,なんとかしようと工夫はしてきました.
>  ラテン文字やアラビア数字に全角文字を使う(これは,あまりにみっともないということで,賛成しない方が多い)
>  アラビア数字の字幅に二分のものを使う,ラテン文字の短字でも二分のフォントの多いものを使う.こうすれば,少なくとも奇数桁(前後四分アキにする場合),偶数桁(前後四分アキにしない場合)は半端がでません.
>  数式のように問題に箇所を独立した別行にする
>  校正段階で文章を工夫する.
> 
> 以上のようなことができないデジタルテキストでは,どうしたらいいんでしょうかね?

将来にわたって数字や外国語が含まれる率は高くなってゆくでしょうから、全角半角要素を使うようにせよと言うのは時代に逆行する考え方だと捉えられるでしょう。言ったところで流れが変わるとも思えません。今まで技術が時代の流れに逆らおうとした例をいくつも見てきましたが、勝率十割で時代の流れの勝ちです。

が、もっと長い単位で見てみれば日本語が融通無碍に他を取り込んでゆく様は今までの歴史通りでしょう。とすると、日本語が全角だけで構成されるという前提自体を放棄する必要があるのだと私は思います。もちろん、全角だけでなる組版の美しさを否定するわけではありませんが、それは平安時代の連綿の美しさと同じで、いずれ過去の美しさになるのでは、と思っています。


> 行頭そろえも一方法ですが,行頭・行末そろえを選びたいという要求は多いでしょうから,
> 
> だからといって,行長を文字サイズの整数倍にしなくてよい,理由にはならない(ラテン文字やアラビア数字が少ないドキュメントは多い.)

はい、もしテキストがほぼ全角なら、両端揃え、行長整数倍にすることのデザイン的な美しさと、ゆえにその意味を理解します。またそのようなテキストは現在でも多く、よって10年程度の近未来を見た時に未だ重要性のあることも事実だと思います。

木田

>  木田泰夫 さんwrote
> 
>> 私はまた次の疑問を提起しました。行の調整が入ると程度の違う字間の広がりを持つ
>> 行がバラバラ混在することになるが、それは許容できて、行長が整数倍でないことに
>> よる統一的な字間の広がりが許容できないのはなぜか、後者の方がまだマシな問題に
>> 思える。という問題です。この点についてはまだ理解できていません。文によっては
>> 欧文単語が多く挟まります。「ジャスティファイしても一切ばらけないのが常態」だ
>> からこの問題は無視できるとは全く言えないと思います。
>> 
>> 木田
> 

Received on Wednesday, 6 September 2023 02:08:47 UTC