Re: 次回ミーティングは次の火曜日29日の10時から

太郎さん、ありがとうございます。

> 行長に関係なく、書体デザイン本来の文字間のスペーシング、詰まり方が、再現できる可能性がジャスティファイした場合には一切なくなってしまうからです。

全角一つ分の空間を例えば一行40文字に分散させると、各文字の間に全角の1/40(正確には1/39)の空間が足されることになりますね。これを「一切なくなって」と表現できます? 例えば一行10文字なら、追加の調整量が1/9となって明らかに見分けられますね。

> しかし、いや、日本語でジャスティファイしなくても気にしない。という考えがwebでは定着していると考える人は、この前提そのものを不要と考えるかもしれません。

はい、私もそのクチです。その場合は字下げの方法で段落を示すのではなく、欧文風の空行で示す方法の相性がよさそうです。

ただし、日本語の両端揃えは欧文に比べて欠点が小さいとも思います。空きが英単語の場合に比べて数倍の数の場所に分散されますので、不自然な結果になりにくい。とすれば、両端揃えの美しさが良いものに思えます。実際私自身、ちゃんとした文章を作るときにはパラグラフの作り方関わらず両端揃えにすることが多いです。ハレとケというのでしょうか。日常はメールやmarkdownやGitHubなどですから両端揃えを選べない場合が多いように思います。

木田

> 2023/08/28 14:24、Taro Yamamoto <tyamamot@adobe.com>のメール:
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> 木田さん
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> 前者はデジタルでは無視できるので後者だとして、行が40文字など比較的長い場合には文字間が 1/40 ずつと認識不能な量になるので問題は無く、行長がとても短い場合にのみ問題になると言えるでしょうか? また行頭揃えの場合には整数倍に限る理由はないと言えますかね?
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> 行長に関係なく、書体デザイン本来の文字間のスペーシング、詰まり方が、再現できる可能性がジャスティファイした場合には一切なくなってしまうからです。
> しかし、ジャスティファイしない場合でも、行長を整数倍に限定した方が好ましいと私は考えます。なぜなら、ジャスティファイしない設定で良いと思って組んだ後に、ジャスティファイに行の揃え方を変えた場合に、予期しない結果をできるだけ回避できる可能性が高いからです(もちろん、禁則処理や欧文が挿入される場合等、そうならない場合も多いですが)。
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> ただし、このことは、次のことを前提としています。つまり、日本語の組版は、普通はジャスティフィする必要があるためです(これは日本語ではほとんどのグリフに字幅に変化がなく、さらに、ほとんどの文字の間で行分割可能であるため、行長の変化が乏しくなるためと考えます)。ジャスティファイしないと、ジャスティファイに失敗して行末が不揃いになっているかのように誤認される場合があるから、ジャスティファイするしかない、と考えるからです。
>  
> しかし、いや、日本語でジャスティファイしなくても気にしない。という考えがwebでは定着していると考える人は、この前提そのものを不要と考えるかもしれません。他方で、その前提を破棄してしまって、印刷物に用いる場合なら字幅等幅でジャスティファイして組まれるはずの、もともとプロポーショナル書体としてデザインされていない全角等幅の印刷書体を、あたかも欧文と同じように、ジャスティファイせずにラギッドで組んだり、ジャスティファイしても行長を文字サイズの整数倍に限定しない、ということを許容してしまうと、全角等幅の伝統的な書体デザインの制約条件と相互に連関・依存しながら成立してきた日本語組版の方法と秩序(そして美意識)が破壊されてしまう、と考える人も専門家の中には多いのではないかと推測します。
>  
> 私見まで。
> 山本太郎

Received on Monday, 28 August 2023 08:43:32 UTC