RE: 次回ミーティングは次の火曜日29日の10時から

木田さん


  *   前者はデジタルでは無視できるので後者だとして、行が40文字など比較的長い場合には文字間が 1/40 ずつと認識不能な量になるので問題は無く、行長がとても短い場合にのみ問題になると言えるでしょうか? また行頭揃えの場合には整数倍に限る理由はないと言えますかね?

行長に関係なく、書体デザイン本来の文字間のスペーシング、詰まり方が、再現できる可能性がジャスティファイした場合には一切なくなってしまうからです。
しかし、ジャスティファイしない場合でも、行長を整数倍に限定した方が好ましいと私は考えます。なぜなら、ジャスティファイしない設定で良いと思って組んだ後に、ジャスティファイに行の揃え方を変えた場合に、予期しない結果をできるだけ回避できる可能性が高いからです(もちろん、禁則処理や欧文が挿入される場合等、そうならない場合も多いですが)。

ただし、このことは、次のことを前提としています。つまり、日本語の組版は、普通はジャスティフィする必要があるためです(これは日本語ではほとんどのグリフに字幅に変化がなく、さらに、ほとんどの文字の間で行分割可能であるため、行長の変化が乏しくなるためと考えます)。ジャスティファイしないと、ジャスティファイに失敗して行末が不揃いになっているかのように誤認される場合があるから、ジャスティファイするしかない、と考えるからです。

しかし、いや、日本語でジャスティファイしなくても気にしない。という考えがwebでは定着していると考える人は、この前提そのものを不要と考えるかもしれません。他方で、その前提を破棄してしまって、印刷物に用いる場合なら字幅等幅でジャスティファイして組まれるはずの、もともとプロポーショナル書体としてデザインされていない全角等幅の印刷書体を、あたかも欧文と同じように、ジャスティファイせずにラギッドで組んだり、ジャスティファイしても行長を文字サイズの整数倍に限定しない、ということを許容してしまうと、全角等幅の伝統的な書体デザインの制約条件と相互に連関・依存しながら成立してきた日本語組版の方法と秩序(そして美意識)が破壊されてしまう、と考える人も専門家の中には多いのではないかと推測します。

私見まで。
山本太郎

Received on Monday, 28 August 2023 05:25:08 UTC