RE: 全角幅送りの議論

田嶋様

  *   斜体に関して日本語の本文組版では用法が確立していないというのは同意ですが、現状CSSのfont-style:italicの指定で日本語の文字でも強制的に斜体にするビューアが多くあり、特に縦組みでの挙動がヒドいことになっていたりもするので「用法が確立していない」という記述がどこかに欲しいかなと思わないでもないです。写植の光学処理に由来する斜体を欧文のイタリックと同列に扱うのが正しいかというと違うかなと。あれは意味合い的にはtransformとかなのでは。
私もまったくそのとおりだと考えます。
10年前に、縦組みの日本語に対するイタリック体の議論があった時、私は次のように書きました。

  *   和字にとって、イタリックにするということ自体、意味がない。したがって、和字に対してitalicやobliqueの指定がなされている場合は、それを無視する。これは横組・縦組の別を問わない。
  *   歴史的に和字に対して行われる斜体の変形処理は、多くの場合、特殊効果として見出し用に用いられた。欧文におけるromanとitalicの区別のように本文において切り替えて区別や両者の差異を強調する目的を持たなかった。
  *   日本の写真植字において斜体が用いられたように、見出し用途などで、和字に斜体の変形処理をかける必要性がないわけではない。必要であれば、新たにそのような変形処理を適切に定義することは可能であろう。ただし、欧文におけるitalicやobliqueと日本語・和字における斜体の変形処理とは、まったく別のものとして、独立して考える必要があり、両者を連動させたり関連付けたりすることには、合理性がないだけでなく、和字に対する適切な変形処理が困難になってしまうおそれがある。
  *   イタリックにすること、斜体にすることが、font-style属性の究極の目的ではない。それは、部分テキストの強調や区別を目的に、西洋のタイポグラフィで用いられてきた方法なのである。日本語のタイポグラフィにおいてもまた、同様の目的で使われる種々の方法[圏点や傍線など]があることを、まず理解する必要がある。
1点補足しますと、日本語のタイポグラフィにおいては、イタリック体のフォントが存在しません。ここでいう「イタリック体」とは本文中において、強調したい箇所や外国語の語句・書籍の表題・引用句などを、ローマン体で組まれた他の部分から識別可能にする目的で用いられる、筆記体風の書体デザインの様式のことで、現代では、既存のローマン体の書体デザインと整合するデザインをもつイタリック体が別フォントとして作られ、ローマン体と共に提供され用いられます。(イタリック体は、元々は13世紀頃にバチカン政庁において商取引などの文書に用いられていた手書き書体を、16世紀の初めにベニスのアルダス・マヌティウスが活字に最初に応用した活字書体の様式です。)イタリック体は、ペンで速筆・連綿で書いた手書き文字の特長を残した形が特徴的で、単純にローマン体にshearing(剪断)の変形をかけたものではありません。イタリック体は対応するローマン体よりも字幅が狭く、詰まる傾向にあり、そのことからアルダス・マヌティウスは小型本を制作する目的で最初にイタリック体の父型・活字を作らせて用いたと言われています。ローマン体にshearing(剪断)の変形をかけた形を基にしたオブリーク(oblique)体のフォントも存在しますが、それはあくまでイタリック体の代用として同じ用途で用いられるものです。

日本語フォントにイタリック体フォントが存在しない以上、フォントのスタイルにイタリック体を指定することは無意味です。CSS Fonts Module Level 3のW3C Recommendation 20 September 2018<https://www.w3.org/TR/css-fonts-3/>という文書にも、Many scripts lack the tradition of mixing a cursive form within text rendered with a normal face. Chinese, Japanese and Korean fonts almost always lack italic or oblique faces. Fonts that support a mixture of scripts will sometimes omit specific scripts such as Arabic from the set of glyphs supported in the italic face. とあり、この日本語フォントの事情を正しく述べています。

他方、写真植字における「斜体」は見出し用の特殊効果であり、通常の本文を組むためには用いません。そのため本文組における斜体の使用法は確立していません。ごく少数の日本語見出し用書体(ディスプレイ書体)には、漢字や仮名を傾斜した形にデザインしたものも存在しますが、それらは本文を組むことを想定してデザインされたものではありません。

また、見出しで写真植字における斜体を用いる場合には、文字の左側が低くなるか、右側が低くなるか、同時に長体の変形がかかるか平体の変形がかかるか、斜体の変形だけがかかるかによって、右長斜体、右平斜体、右正斜体、左長斜体、左平斜体、左正斜体の区別があり、それは変形レンズの角度を指定することで(±0度から±90度まで15度単位で)印字できました。斜体・長体・平体を含む変形のために、蒲鉾のような形をした変形率が異なるレンズが複数用意されていて、多くの場合、10%(1番), 20%(2番), 30%(3番)の三種が用意されていました。

また、斜体をかけると、各文字の仮想ボディの各辺は傾斜します。そのため、横組みでは上辺と下辺は水平(縦組みでは右辺と左辺は垂直)にはならず、字送り方向と一致しなくなります(下図A)。典型的な斜体である右正斜体2番45度を横組で用いた場合、水平線との角度は計算上では約6.34度右上がりになる(と予測します)。字送り量も正体とは異なる値が必要となります。字送り方向と各文字の上下(または左右)の辺の方向とが一致しない、このような単純な斜体も、広告やパッケージ、パンフレットやチラシの見出しなどの用途では多用されました(下図A)。
[テキスト, 手紙  自動的に生成された説明]

他方で、仮想ボディの上下(または左右の)辺の角度を字送り方向の水平(または垂直)と揃える「斜体ライン揃え」(上図BとC)も行われました。しかし、手動写植機が最高度に機能強化された1980年代の手動写植時代の最末期になるまで、文字の回転ができなかったため、「斜体ライン揃え」した結果は斜めになって印字され、それを後で割り付け用紙に切り貼りする時に水平(または垂直)にする必要がありました(上図C)。特に、手動写植機にデジタル回路やマイコンが用いられる以前は、「斜体ライン揃え」での1文字ごとの字送り量と(横組みでは)縦方向(行方向)の歯送り量を、あらかじめ写植機メーカーが用意した数表を見ながら(あるいは関数電卓を使って三角関数を計算しながら)、設定し、1文字印字するごとに一定歯数行間を(戻すまたは進める)必要があり、手間がかかったものです。

斜体をかけると、文字の大きさは全体に小さくなります(右正斜体2番だと狭い方向では全角の1辺の長さの約88.3%になります)。見出しの場合には、元々見出し文字が大きく指定されている場合もあり、そのため、その見出し行に限って大きくするという作業を行う必要がある場合もありました。さらに、斜体をかけた文字とそうでない文字との間隔についても一定の方法があったわけではありませんが、これは、現実には、同一行に斜体と正体とが混在することが、ほとんどなかったからと推測されます。これらのことは、斜体が見出し用途に限定されていたことを示しています。

しかし、デジタルフォントを用いた場合に、仮想ボディの横組みで、文字サイズと等しい上下の辺の距離を固定したまま、shearing(剪断)の変形操作を行った場合には、写植の斜体とは異なり、文字の形の一部が、元々の仮想ボディから前後に食み出る可能性があるため、正体と斜体との混在時に隣の正体の文字と接触する可能性が高まりますが、これについても、そもそも日本語の本文で斜体を利用することが、ほとんどないことを考慮すれば、重要な問題とはなりません。

また、正体でデザインされた書体に長体や斜体などの変形をかけて用いることには、欧文・和文の別を問わず、文字の形を歪曲するだけでなく、画線の太さのバランスを崩してしまう大きな欠点があります。その欠点と期待する効果とのバランスを慎重に検討して変形を利用することが肝要だと思います。

以上、斜体についての私の考えを述べました。

山本

Received on Wednesday, 11 October 2023 04:44:11 UTC