RE: 全角の歴史

木田さん

私は、中国や日本の書写の歴史において、全部ではないにしても、その一部の書法や様式や書法上の規範において、行中の文字数を均等にして、秩序正しく整列させて書くという習慣が無かったと言っているのではなく、それらは、おそらく篆書や隷書が形成される時期には既に発生していたことを認めています。

しかし、それとはまったく異なる、規矩にとらわれない書法や書の実作も、大昔から中国や日本では存在しているわけです。文字の形は多様なのです。

格子状のガイドに沿って書くのは、楷書や、特に小さな文字の細楷などでは、たしかに、修練によって高度な技術を獲得した書家が、整然と、ほぼ「等幅」で見えるような(実際は違うけれど)文字を書くことが行われました。

しかし、それらは、これまで書いてきた理由から、タイポグラフィにおいて全角の仮想ボディを採用した時における「等幅」とは、文脈も質的な次元も異なるものであるはずだ、ということが言いたいのです。

極端に言えば、我々は西洋式の活版印刷術を導入したことで、それまでとは異質の、文字の配列の「秩序」を獲得したのであり、それは、前近代の「整然と書かれた」「等幅に見える」手書き文字でも整版や木活字によって複製された文字でもなく、近代の活字が可能にした秩序であり、複製技術としての活字が本質的にもつ「秩序」の可能性だったのだと考えます。それを、短絡的に同一視するあるいは類似しているからというだけでリンクすることは難しいのではないか、と考えるのです。

活版印刷術は我々を前近代から近代へと導いたのです。そこには、歴史的な継続性や類似性だけでなく、大きな質的な間隙、飛躍があったはずで、現代のデジタルタイポグラフィは、まさにそのような近代のタイポグラフィを継承しているのです。

同じフォントを用いて縦組みと横組みとを簡単に行うことは、「整然と」「秩序正しく」「均整に」文字が配列されるだけでは、不可能なのです。工業的な精度が必要とされるのです。だから、それは手書き文字が目指していたものとは、異質な精度と秩序のレベルだと思うわけです。

山本


From: Taro Yamamoto <tyamamot@adobe.com>
Sent: Wednesday, October 4, 2023 10:08 PM
To: 木田泰夫 <kida@mac.com>
Cc: Masaya Kobatake <kobatake@dynacw.co.jp>; JLReq TF 日本語 <public-i18n-japanese@w3.org>
Subject: RE: 全角の歴史

木田さん

「一見等幅に見えるような文字の配列」を行なっている書き方について。もちろん、厳密な等幅である必要はなく、前にお送りした科挙の例のように、幅の狭い広いに応じた変化を含めて、全体的に一見等幅に見える、ものも含めてですが、このような書き方が中国に、明時代や宋時代の刊本以前から存在していた。

検索で見つけた例ですが、紀元前200年代に秦の始皇帝が作ったと言われている下のようなものがあるようです。これは「一見等幅に見えるような文字の配列」のように思えます。
https://xhscjp.com/shopdetail/000000007015/

[cid:image001.jpg@01D9F711.8FCD6E50]

篆書や隷書が出てきた時代から、そういう風に、格子状に整列する様式が発生したことは、事実だと思います。
そのことについては、既に私が書いたことです。そのことを否定しているわけではありません。ただ、それは中国や日本の文字を配列する様式のすべてではなく、個別の時代なり、目的なり、用途なり、そこで形成された書法なり、様式的な美意識なりに関係づけられていた、ということを述べたのです。

山本

Received on Wednesday, 4 October 2023 13:32:42 UTC