RE: 行長は全角の整数倍であらねばならないか

小畠様

> スイススタイルが見せている版面の平坦なグレートーンを良しとする評価に憧れがあったのではないかと想像しています。かくいう私も何の疑いもなく本文一歯詰めを利用していた一人ですが、刷り上がったページのグレートーンにあこがれというより、それを目指した記憶があります。

「グレートーン」はなかなか誤解を招く難しい表現です。欧文がプロポーショナルであることの意味は、個々の文字のデザインに一番自然な固有の字幅を与えることで、均質で適度な画線と空間とのリズムを得られるようにし、ラギッドで組むことは、ワードスペースの不均等をできるだけ避けることにあります。これらのことは、たしかに、濃度をより均一にします。

和文におけるツメ組の目的は、やはりその方向性を目指したと考えられます。たしかに様式的にスイスのモダニズムを指向する場合もありましたが、ジャスティファイせずにラギッドで組むことは多くの場合和文では難しく、スイス派とまったく同じやり方をそのまま採用するわけには行かなかったと思います。

ただ、よりミクロな視点で見ると、欧文のプロポーショナルの組版やスイスのタイポグラフィは、必ずしも均一のグレートーンだけを目指したわけではなく、文字の中の画線の間のスペース、ワードスペース、行間が、すべて調和のとれた視覚的なリズムを形成することを目指したと思います。なぜなら、ワードスペースを狭くし過ぎると、グレーストーンには貢献しますが、単調で読みにくくなってしまうからです。ジャスティファイした場合には、ワードスペースの不均等は想定済みのことですが、ラギッドの場合には、適正かつ均一なワードスペース、レタースぺ―ス、適切な改行位置の決定による行末の形の調整によって、快い「ラギッド」らしさが見えてこないと失敗になります。

欧文の「グレートーン」指向も、スイス派への指向も、どちらもある程度は、和文のツメ組にあてはまるのですが、和文でも詰めすぎると読みにくくなるように、「グレートーン」自体が実は単に濃度が均一になれば良いということではないということは、スペーシングを考える上で重要なポイントだと思います。

私見まで。

山本太郎

Received on Thursday, 31 August 2023 04:49:50 UTC