- From: Kobayashi Toshi <binn@k.email.ne.jp>
- Date: Fri, 21 Apr 2023 11:16:55 +0900
- To: MURATA Makoto <eb2m-mrt@asahi-net.or.jp>
- Cc: atsuda@fontworks.co.jp, tyamamot@adobe.com, kida@mac.com, public-i18n-japanese@w3.org
MURATA Makoto 様 小林 敏 です. 以下の件,私は,ただ読むだけですので,皆さんで是非挑戦してほしいと思っています. 少しだけ,前のメールに追記すると,ラテン文字組版では単語をスペースで区切っています.日本語組版では,読点での区切りはあるとしても,多くは単語等を区切るものはありません.意味を理解する場合に,あるまとまりで読み,それで理解していくという読み方であると思います.しかし,単語等を区切るものはないので,意味のあるまとまるを読み取る前提に,1字1字の読みは,あるのでは,と私は推測しているのです.ラテン文字も,単語の意味を理解するために,1字1字の認識は,ある種のまとめ読み的な読み方が可能としても,1字1字の認識は前提としてあるように思います.その程度が,単語等を区切らない日本語組版では,より必要としているように思うのです.これはあくまで推測でしかありませんが, ところで,分かち書きが,日本では仮名の多い読み物を除外して,あまり普及していません.これは,処理が面倒ということがあるのでしょう.ただ,以下のこともあるように思っています. それは,文章を書く際の読点の使い方です.私は,比較的多く使用していますが,読点を多く使用すると読みにくいといって,避けるべきという人もいます.このことから類推して,日本語組版の単語等で区切らないという組版が,ある種の優柔無碍というか,自由さを持っている,これがいいということかもしれない.つまり,意味のまとまりは,読む人の自由でありたい,好きなように読みたい,つまり,自分の慣れた読み方で読みたいということかもしれない.分かち書きや,多めの読点で,その自由を妨げられるのは,好ましくない,ということかもしれない. いずれにしても,読むということは,複雑な過程です.そして,その行為は,今日では人間の生活に必要不可欠のものです.ですので,その過程をより科学的に追及していってほしいと願っています. >敏先生、 > >これはWe agree to disagreeというやつですね。いつか >証拠を積み重ねて決着をつけたいものです。 > > >村田 真
Received on Friday, 21 April 2023 02:18:58 UTC