- From: MURATA Makoto <eb2m-mrt@asahi-net.or.jp>
- Date: Tue, 18 Apr 2023 19:53:22 +0900
- To: Kobayashi Toshi <binn@k.email.ne.jp>
- Cc: Taro Yamamoto <tyamamot@adobe.com>, 木田泰夫 <kida@mac.com>, JLReq TF 日本語 <public-i18n-japanese@w3.org>
- Message-ID: <CALvn5EDQO7bnf5nHk5UtYmjji-LpYsKM_O3pejnw2S4Utdn0Hw@mail.gmail.com>
敏先生、 > > 前に送っていただいた論文を少しのぞき見して感じたのですが,読みやすさは,読みの速度を主に調査されているようですが,以下の2点,これを調査するのは,とても困難だと思うのですが,挑戦してもらいたいな,と思っています. > > 1 短文でなく,長いテキストを読む際にどういう問題があるか? > 2 読みやすさは,読む速度だけで評価するのではなく,疲労度も取り上げてほしい. > > 人は,読みたいものは,かなり努力して読んでしまうので,少々の読みにくさがあって,どんどん読んでしまう.しかし,そこでは疲労度の差異がかなり出てくるのではないかという推測があるからです. > 疲労については、テストのアクセシビリティにおいて 大きな問題のようです。普通の人より長い時間 かかってなんとか読み終えても、もう疲れ切っていて、 解くなんて到底無理です。 しかし、疲労度を測るのは、ちょっと調べた だけでも大変なことのようで、「精神疲労を 客観的に評価する 手法は確立されていない 」 とか「 疲労の現れるメカニズムについて 科学的に記述すること は,現在の我々の知識 では不可能に近い」なんていう論文に行き当たり ます。私が手を出すのは無理そうです。 「長いテキストを読む際」の分析も尻込みして しまいます。長文になれば、読んでも意味が しっかり取れないから読み直すということが 頻繁に発生するはずです。しかし、理解 できるかどうかという問題と、ディスレクシア (文字から音韻への変換がスムーズにいかない こと)は別物なんです。長文になればなるほど、 多くの問題がからみあって発生してくるはずです。 日本語テキストを読むということについての 科学的な研究は欧米言語とくらべて10年分 ぐらいは遅れているという印象です。たとえ ば、ドイツ語の複合名詞はいくらでも長くなる (しかもスペースもハイフンも入らない)よう ですね。それを分かち書きして読みやすくする という話(というか国が作ったルール)があり ます。これについての科学的な研究がいっぱい あるのには驚くばかりです。 > > 次に漢字と仮名ですが,指摘された問題はあり,美的な面からいえば,そうした問題があるでしょう.しかし,通常の組版は,美的な面よりは実用的な面が強い.その点は活字組版の全角ベタ組という方法は,ある種の合理性がずいぶんとあるように思います(作業性だけではなく,いろんなことを考えていく際に時間が節約できる,つまり経済性が高いのです).そして,全角ベタ組にあわせて,漢字も仮名も設計されてきた.読者がそれに慣れてきたという経過があるので,そうした歴史的経過は無視できないでしょう. > > > ただし,今日では,全角ベタ組でない方法は簡単に実現できており,全角ベタ組で組版の例は,それなりに増えています.ただ,私の実感では,その方法はあまり成功していない.全角ベタ組でない組版は,それほど読みやすさの面でよくなっているとは感じられない.逆に読みにくいと感じる場合が多い. > > > つまり,全角ベタ組は満点ではないが,それ以外の組版も,とても満点でない.そこで,全角ベタ組以外の組版で品質を挙げていくことに大いに挑戦してほしい,と思っています. > > > もうひとつ漢字と仮名についていうと,その組合せのバランスが問題と思っています.画面での漢字と仮名とのバランスは,とくに画面表示ではゴシックが多いせいか,あまりよい,つまり読みやすとはいえない例が多いように感じています. > 画面で文字を読むことが普通になってまだ30年は 経っていないでしょう。あと何年かかるのかは 分かりませんが、今とはまったく異なる組版 が主流になるのではと期待しています。 村田 真 > > > MURATA Makoto さんwrote > > >論文をちゃんとまとめるまで口にチャックしておこう > >と思っていたんだけれど.... > > > >文節改行をしないと、視線は前の行末と次の行頭との > >間を行ったり来たりし、ラグ組文節改行だと行ったり > >来たりしないようです。これは、科研費研究による > >手持ちの実験データから有意差ありで示せる > >と思っています。 > > > >一方、ラグ組文節改行だと、次の行頭に動く視線が > >行頭でぴたりと止まらず、視線が泳ぐようです。 > >これも同様に有意差ありで示せると思っています。 > >移動距離が行ごとに違うのでこうなるのでしょう。 > > > >以下は、「歴史の中の書」という 『全日本美術新聞』 > >で連載を締めくくった記事です。田宮 文平という > >美術評論家が連載したものです。 > > > >http://www.all-japan-arts.com/rekishi/1212rekishi.html > >http://www.all-japan-arts.com/rekishi/1301rekishi.html > > > >日本語を表意文字の漢字と、表音文字のかなとを混合して書くことは、日本の書の表 > >現に多大の影響を与えてきたのである。 > >> > >> 漢字は表意文字として独立した意味をもつから行頭、行末をぴたりと揃えて書いて > >> も何ら問題がない。しかし、表音文字としてのかなは、一字では基本的に語を形成 > >> することができない。その意味では、漢字の具象化に対して、かなは本来的に抽象 > >> 性の存在であると言える。「さくら」にしても「もののあはれ」にしても、漢語の > >> ように行頭、行末を強制的に揃えようとすれば、語は至るところでぶつ切り状態に > >> なってしまう。 > >> > >> これを逆手にとって美の空間をつくろうとしたのが、平安古筆における散布(散ら > >> し書き)である。純粋な言語表記ならば、行を整えて書くことの方が合理的であろ > >> う。それを、かな文字の抽象性を生かして料紙と共に美的空間を創造したのが、散 > >> 布(散らし書き)である。漢語では、とんでもないところに一字が飛んで書かれる > >> などということは表意文字の性格からしてもありえないことであろう。 > >> > >> このように多様化した日本語の表記も中世に至ると日常的には、漢字かな交じりが > >> 普及する。ところが、書においては中国文化の影響力から唐様と和様が強固に存在 > >> し、漢字書と、かな書とに二分されて長くつづくのである。漢字かな交じりの書は、 > >> なかなか、芸術的に評価されることが少ないのである。 > > > > > >活版印刷にもとづく日本語組版も、唐様を無批判に > >踏襲しただけではないか、技術の制約からベタ組を > >しているだけではないかと私は疑っています。 > > > >村田 真 > > > > > >2023年4月17日(月) 17:12 Taro Yamamoto <tyamamot@adobe.com>: > > > >> 木田さん、 > >> > >> > >> > >> > >> > > >> 似た問題かもしれませんが、下の左右の文を読んでみると、右の文節で区切られた > >> ものは、行末で一瞬、読みというのか、思考というのか、がポーズする感覚があり > >> ました。私だけかな? > >> > >> > >> > >> [image: image001.png] > >> > >> > >> はい。原作者が意図しない、時間的な休止が、挿入されているかに読めてしまう危 > >> 険性があります。このことは、詩文などで、分かち書きやジャスティファイしない > >> 組み方が行われることの裏返しだと思います。 > >> > >> > >> (ちなみに、上記の件とは別ですが、欧文ではラギッド組んだ場合に、パラグラフ > >> 間を行間空きで示す場合もあれば、インデント=字下げで示す場合の両方がありえ > >> ます。) > >> > >> > >> > >> 山本 > >> > >> アドビ > >> > >> > >> > > > > > >-- > >Regards, > >Makoto > > ―――――――――――――――――― > 小林 敏(toshi) 2023年04月18日 > e-mail: binn@k.email.ne.jp > ―――――――――――――――――― -- Regards, Makoto
Received on Tuesday, 18 April 2023 10:54:06 UTC