Re: web における和欧間スペース

山本さん、

> 生の原稿の「テキスト」をテキストエディターなどで、効率的に編集作業を行う場合などに、左揃えのテキストが用いられる場合があることは、当然で、それは目的に適ったものと考えます。しかし、編集を終えた長文の「記事」や「雑誌」や「広告」や「商業印刷物」や「書籍」のテキストが左揃えになることは、特別の編集意図、デザイン上の意図をもって作られる場合を除いて、ありません。

山本さんが例をあげられたように紙への印刷のモデルではそうですし、その場合に両端揃えがほとんどであることに異論はないと思います。

ただ私は、ウェブやメールなど、デジタルテキストの話をしたいんですよ。これらは国際化システムの上に作られていて、そのデフォルトは左揃えになっています。組む前のテキストと組まれた作品という区別のない場合がほとんどです。日本語が入力されている部分に対してはこのデフォルトを不十分・未完成として両端揃えに変えるべきだとの議論は可能だと思いますが、私は多くのテキストは左揃えのまま残るのではと考えています。紙の印刷、DTP の世界では、一つのルールが適用されるマーケットがほぼ国内で閉じていますが、デジタルは世界共通の一つの仕組みで動いているというのが一つの理由です。日本語をベースラインの上に組むという最悪な手段についても同様です。もはや良い悪いの問題ではない、その前提で、jlreq-d ではベースラインの上で左揃えで組まれた日本語を今より「まし」にする方法を考えたいのです。

デジタルでも、電子書籍や頑張って作られたWebページなど、ある労力を持って作られるような場合には両端揃えが現実的に可能ですし、これは残って行くと思います。この場合には従来からの印刷の経験の蓄積を活かせるという点も大きいでしょう。例えばウェブで両端揃えがより簡単にできるような提案も可能かもしれません。これらも議論したいと思います。

木田

> 2022/07/12 10:09、Taro Yamamoto <tyamamot@adobe.com>のメール:
> 
> 木田さん、
>  
> 返信いただきありがとうございます。
>  
> > と言うことは、良い悪いは別として、もしそれが左揃えのテキストだったら、事情が変わるということですね。
> 
> 生の原稿の「テキスト」をテキストエディターなどで、効率的に編集作業を行う場合などに、左揃えのテキストが用いられる場合があることは、当然で、それは目的に適ったものと考えます。しかし、編集を終えた長文の「記事」や「雑誌」や「広告」や「商業印刷物」や「書籍」のテキストが左揃えになることは、特別の編集意図、デザイン上の意図をもって作られる場合を除いて、ありません。
> 
> > というのは、これも良い悪いは別として、私が日々目にする日本語は、その大半が、左揃えなんです。デジタルテキストです。なので、左揃えの日本語が美しくなることに私は大きな関心があります。
> 
> 木田さんが「日々目にする」と言われているのは、テキストレベルでは編集済みかもしれませんが「組まれる前の」テキストなのです。日本語の組み方を考える場合に、まだ組まれていない状態のテキストの状態を、日本語の組みの典型例としてみなすことはできません。
> 
> 「左揃えの日本語が美しくなることに私は大きな関心があります」→ これ自体は可能です。しかし、それは前回のメールに書きましたが、原理的に一般的なルールによって自動化可能ではないと考えます。誰かがそういうアルゴリズムを提案することはありえるでしょうし、興味深い課題だとは考えますが、もしそうだとしたら、それ以外のアルゴリズムも種々あり得るでしょう。そもそも「左揃えの日本語が美しくなること」は、個別の事例ごとに著者や編集者との合意を得て手間暇かけて、作り上げるような事例が、稀に存在するということであって、美しい「左揃えの日本語テキスト」があり得る、ということが一般的に言えるわけではありません。というか、歴史的にそういうものは、一般的には、無かったのです。なぜ無かったかについては、前回説明しました。和文の個々のグリフの字幅に変化がない(あるいはほとんどない)からです。一般的に無いものを、一般的に有るかのように考えるのは危険だと思います。
> 
> 現在「日々目にする」と言われているテキストというのは、Webのことでしょうか? 日本語を組むことについて、Webの領域では、これまで不十分・未達成の事柄があったから、このような場で議論が行われているのだと理解していました。だとすれば、それがWeb上の日本語テキストのことを仰っているのなら、日々目にされているのは、いまだ不十分で未達成の状態のテキストなのだと思います。これは、Webを貶しているのではなくて、DTPの世界でも、20年以上前は、全角ベースの日本語の行長設定、全角ボディ(及びそれを基準とするグリフ)の正しい位置決め、文字クラスの前後関係に依存したスペーシングなどを実現しているソフトウェアは希少でした。だから、まともな日本語がPC上で多くの場合組めなかったのです。DTPの日本語の組みが改善されてきたのと同様、Web上の日本語の組みも改善していくと考えています。
>  
> > この「固定的で硬直した」ですが、もし和欧間の間隔が行長の調節に使えるなら、事情が変わることになりますか?
> 
> はい。特に和文の中に(複数単語からなる)欧文が含まれる場合には、調整可能にした方が良好な結果が得られる場合が多いと予想します。事実、現在の多くのInDesignを含む日本語レイアウトソフトウェアでは和欧間のスペースは調整可能となっています(調整不可=固定にすることも可能です)。また、従来の電算写植・自動写植システムにおいても、和欧間のスペースを調整可能としていた事例については、小林さんへのコメントに記しました。
>  
> また、欧文の場合に、「単に段落設定の行揃えをflush leftやragged rightにして、手間をかけずに自動的に組まれた印刷物も沢山あるのでは?」と言われるかもしれません。たしかにそうです。「行末の視覚的な状態に無頓着であれば、行頭揃えで組んでも構わない、だから自動化できる」ということには欧文については同意します(左揃えの完璧な最適化にはならないけれど、自動化は許容可能なクオリティで可能といえるでしょう)。
> 
> しかし、同じことは和文の場合にはあてはまりません。欧文の場合には、字幅は、小文字のiと大文字のWでは3.5倍ほど違います。現在、和文も主に仮名文字などをプロポーショナルにして、いわゆる写植時代の「仮名ツメ文字盤」と同等のツメ組が可能になっていますが、その場合でも、通常の(はじめからプロポーショナル書体としてデザインされたわけではない)明朝体などでは「く」の横組みの字幅は「わ」の字幅の85%ほどあります(縦組みの場合にはもう少し比率は大きくなるでしょうが)。この和文グリフの字幅のダイナミックレンジの狭さは、書体のデザイン自体が、例外はありますが、大多数が全角ベースのベタ組を想定して作られているからです。このことは、全角ベースの日本語の文字の組み方とそのために作られてきた多くの和文書体は、行頭揃えの組み方とは、原理的に、相容れない、ということを意味していると考えます。
> 
> 「左揃えの日本語を美しく」するには、日本語の書体デザイン、組み方の基本的なルールを含め、あらゆるものを根底から変革する必要があると考えます。おそらく、それは、きわめて興味深い課題ではありますが、現時点でここで取り組む必要のあることではないように思えます。
> 
> 以上、また長くなりましたが、私見まで。
>  
> 山本太郎

Received on Tuesday, 12 July 2022 03:11:46 UTC