- From: Taro Yamamoto <tyamamot@adobe.com>
- Date: Wed, 4 Oct 2023 08:35:23 +0000
- To: 木田泰夫 <kida@mac.com>
- CC: JLReq TF 日本語 <public-i18n-japanese@w3.org>
- Message-ID: <DM8PR02MB8070A1B8CB609FA44D63F251CECBA@DM8PR02MB8070.namprd02.prod.outlook.com>
木田さん 先のメールでも書きましたが、「等幅で組んでゆく概念は西洋式の金属活字において初めて生まれ」たから、中国や日本の伝統と切断されているのだ、ということを主張しているのではありません。 金属活字以前の手書きの文字においても、「等幅」に見えるものや実際「等幅」に作られた事例もあったかも知れないけれど、それは現代の我々が議論しているタイポグラフィックな意味での「等幅」とは異なる。なぜなら、実際等幅に見えてもそうなってない場合が多く(図版の例の「一」文字の例で明らか)、むしろ、それは書風や用途に依存してその範囲内で「均整さ」や「端正さ」や「秩序」が様式美として追求され、暗黙裡のあるいは明示的な格子のガイドに沿って文字を、各行の字数を揃えて、配列するようになった結果として「等幅」に見える結果となっているのであって、そのことは、全角正方形のボディの中から食み出さずにデザインするから、日本の活字は正方形で作ることができて、縦組みでも横組みでも組むことができる、というコンテキストとは、異なるという点が、私の意図なのです。その両者の「等幅」に見えることの類似性を、必然的な因果関係としてリンクすることはできないのではないか。という意味です。 「等幅」(に見えること)の歴史的な正統性について述べるのであれば、明時代や宋時代の刊本が整然と格子状に配列されていることと、日本語組版のベタ組の等幅との類似性を指摘する方が良いのではないか。と思うのです。両者には、手書きと活字との関係よりも、より歴史的な親近性があると考えられます。 原稿用紙に手書きの文字を書く時に、文字によっては、必ずしも正方形の枠から食み出て書いても気にしないはずです。特に行頭、行末は揃えても、行内の文字も必ず正方形の枠に収めないといけないと思って原稿用紙に書く人は少ないのではないでしょうか。しかし、普通のフォントを使えば、全角から食み出る仮名や漢字はほとんど無いはずです。それが、手書きにおける「均整」に「秩序正しく」書き文字を配列する努力と、タイポグラフィが自動的に達成する「等幅」との違いだと思います。 山本 From: 木田泰夫 <kida@mac.com> Sent: Wednesday, October 4, 2023 5:08 PM To: Taro Yamamoto <tyamamot@adobe.com> Cc: JLReq TF 日本語 <public-i18n-japanese@w3.org> Subject: Re: 全角の歴史 EXTERNAL: Use caution when clicking on links or opening attachments. 山本さん、 そうですか。了解です。要約すると、等幅で組んでゆく概念は西洋式の金属活字において初めて生まれ、それ以前の文化と連続性が見つけられず、切り離されて何もないところから出現した、ということですかね。では以下の記述を削除します。 固定幅で字を書く伝統は遠く古代中国や日本の手書きの時代からフォーマルな文書に見られ(例)、脈々と続いてきた伝統でもある。 木田 2023/10/04 14:44、Taro Yamamoto <tyamamot@adobe.com<mailto:tyamamot@adobe.com>>のメール: 木田さん · この意識が日本語(中国語)にあったことこそが重要なのであって、手書きから活字、現在のデジタルタイポグラフィと精密さが増し、横組みにも縦組みにも対 · 応できるようになり、というのは一つの連続した流れの中の発展といえましょう。 それは言えないと思います。漢字という書記体系の中で生まれた書法の一部において、正統的で模範的な形式として、行中の文字数を揃えて、暗黙あるいは明示の格子状のガイドラインに沿って配列することが行われ尊重されるようになったのは事実のようです。しかし、歴史的にも、甲骨文や金文にそういう例があった例を私は知りません(そういう事例があったらお教え下さい)。おそらく、篆書、隷書の書法が発生し、さらにそこから、草書、行書、楷書へと多様な書法が展開していった過程で、篆書や隷書や楷書において、そのような形式が形成されていったのかもしれません。しかし、草書や行書の書法はそのような規矩にとらわれないものですし(特に唐代の懐素や張旭のいわゆる狂草などは、漢字の伝統的な構成法に基づきつつもまったく天衣無縫の自由さを獲得しています)。また、日本の仮名の書は平安時代にその表現形式の頂点を迎えましたが、まったく格子状のガイドラインにとらわれるようなものではありません。これは江戸時代の刊本にも平仮名が用いられた場合には当てはまるでしょう。もちろん、楷書は楷書として、これまでもずっと書法として尊重されてきましたが、それは書法の一つにすぎません。漢字や仮名の文字の様式は多様であって、用途や目的によって異なるものが用いられるわけで、それを一般化することはできないでしょう。 · 他方で、「均整さ」や「端正さ」を求める意識が働くのであれば、楷書を書く場合には、暗黙であれ明示的であれ、格子に沿って書こうとするはずです。そのことで、文字はある程度は「等幅」になるはず · もう一度説明しておられるこの、自然と等幅になるはず、な流れは欧文にはあったのでしょうか? なかったとすると何が違いでしょう? そもそも、「均整さ」や「端正さ」を求める意識、それ自体の在り方が、適用される書法や文字が書かれる目的・状況などに依存して異なっていたはずです。端正な楷書が格子状に配列されるからといって、端正な行書や草書がそうなる必然性はありません。ラテン文字の前身のフェニキア文字やエトルリア文字やギリシア文字が正方形の格子状に等幅になっていなかったとして、不思議はなく、漢字の楷書という書法との連関から「なぜ等幅でないのか」と問う事も無意味でしょう。 ラテン文字はまったく漢字とは異なる歴史を経てきたため、そこでの端正さや均整の探求というのは、大文字についていえば、例えば、古代ローマの碑文などにおいて最高度に達成されたものでしょうが、そのことは正方形の格子とは関係ありません。 たしかに、現代の明朝体のベタ組が、中国の明代の刊本と歴史的に関係し「連続」していて、どちらも、格子状のガイドに沿っているように見え、そこに類似性がないわけではありませんが、であれば、明朝体活字と明代の刊本(あるいはその前の宋刊本)との歴史的関係を述べる過程で、形式上の類似性に触れることは可能でしょう。しかし、そのことから、中国や日本の手書き文字が、一般的に「等幅」を指向していたから、現代の日本の文字組版も等幅になっているし、それが自然なのだ、ということは論理的に言えないと思います。類似性があることと因果関係があることとは違い、実際、手書きの文字も刊本の文字も、必ずしも活字のように等幅ではないからです。 山本
Received on Wednesday, 4 October 2023 08:35:36 UTC