- From: Yasuo Kida <kida@mac.com>
- Date: Mon, 11 Jul 2022 20:34:31 +0900
- To: Yamamoto Taro <tyamamot@adobe.com>
- Cc: JLReq TF 日本語 <public-i18n-japanese@w3.org>
- Message-Id: <022C2EB4-0549-4D71-803A-B5BCCCCCF7D6@mac.com>
ありがとうございます。安定の長さでとても勉強になりました(ほんとに!ありがとうございます)。 と言うことは、良い悪いは別として、もしそれが左揃えのテキストだったら、事情が変わるということですね。というのは、これも良い悪いは別として、私が日々目にする日本語は、その大半が、左揃えなんです。デジタルテキストです。なので、左揃えの日本語が美しくなることに私は大きな関心があります。 太郎さんの言葉は身がギュッと詰まっていて、先ほどのセンテンスにもう一点、「事情が変われば」要素があります。 > なぜかというと、ワードスペースなどの現存する他の可変的なスペースよりも狭い固定的で硬直した今までにないスペースをあえて導入することは、スペーシングの不均衡を将来しやすいと考えるからです この「固定的で硬直した」ですが、もし和欧間の間隔が行長の調節に使えるなら、事情が変わることになりますか? 木田 > 2022/07/11 20:02、Taro Yamamoto <tyamamot@adobe.com>のメール: > > 木田さん、 > > > 質問。これは両端揃え前提ですかね? もし開始位置だけ揃える場合はどうでしょう? > > はい。行頭行末揃えを前提として考えています。 > > 基本的に、日本語では、段落最終行を除いて、行頭行末揃え(justification)を行います。これには理由があります。 > > 欧文では、長いテキストの場合でも、行頭だけを揃えて行末を成り行きで組む、いわゆるragged rightまたはflush leftという組み方があります。それは、19世紀末の画家でありブックデザインも手掛けたJames Abbott McNeill Whistlerの実験的な書籍や、20世紀前半の作家のGeorge Bernard Shawや石彫の彫刻師でありタイプフェイスデザインも手掛けたEric Gillなどが、実験的に行ったのが始まりで、その後、左右非対称のレイアウトを尊重する20世紀のモダニズムのデザイン傾向の中で多用され、特に1940年代以後のスイスのタイポグラフィやそれに影響を受けた米国のタイポグラフィで広く採用されたため、商業印刷物や広告から、やがて雑誌や専門誌や書籍の組版でも用いられるようになってきました。行頭行末揃えをしないのですから、その組み方の最大の利点は、ワードスペースが調整を受けないことです。 > > 他方で、この行頭だけを揃えるragged rightの組み方では、行末を揃えないのですから、欧文では字幅が文字によって異なり、単語の数も異なるため、行長は不均等になります。この不均等な行長によって生じる非対称の形態に、このragged rightの組み方の美観が大きく依存しているわけです。しかしながら、テキスト中に出現する文字は多様かつ多様な順序で出現しますから、必ずしも、行長がランダムに不揃いにならず、揃い過ぎたり、行末の形が意図して作られたかに見えてしまう場合もあります。本格的な欧文組版では、組版するタイポグラファが、各行の改行位置を手作業で試しながら、何回も何回も校正印字を繰り返して、ようやく視覚的に好ましいランダムさの行末の形をもつ結果が得られるよに努力してきました。改行位置を一箇所変更すると、それ以後、段落の終わりまでのすべての改行位置の選択肢は変更を受けることになります。ですから、この改行位置の試行錯誤による行末の形状の視覚的最適化は、きわめて膨大な組み合わせの数から、最適解を選びだす作業となります。(そして、通常の段落コンポーザーにおける最短経路の探索問題と異なり、調整量の総和を段落全体で最小にする、というような定量的なゴールが設定されていません。そのため自動化ができません。) > > そのため、欧文組版では、実はragged rightの方が行頭行末揃えを行うよりも、はるかに高度で、美術工芸的な作業と時間を要することになります。 > > さて、和文の場合には、まったく事情は異なります。😉 > > 和文において(ツメ組でない、ベタ組の場合)通常のテキストでは、justification以前の元々の行長が全角を並べた場合と異なる可能性があるのは、和欧混植がある場合と、禁則処理が発生する場合にほぼ限定されます。その行長の不均等さは、きわめて小さく、行頭だけを揃えて組むと、行末が初めからほとんど揃った状態となり、欧文のragged rightに期待される、リズム感のある左右非対称の形態はまったく望めないだけでなく、一部分の行だけが行長が微妙に不揃いとなるため、組み間違いと見間違ってしまうことになります。そしてそもそもそのような不揃いが発生してしまう和文の文字組というものは、全角ベースの和文ベタ組とは、性質の異なるものとなってしまうわけです。(つまり、行中で一生懸命やっている「ベタ組」との原理的あ矛盾が行末で生じてしまうのです。この自己撞着が視覚的には見苦しい姿となって露呈してしまいます。) > > つまり、字幅がプロポーショナルでなくほぼ均等の和文の場合には、行頭だけを揃えた組み方は、長いテキストでは現実的には不可能なのです。(見出し用途以外では)。 > > 一つだけ可能性があるとすれば、著者、編集者と文字を組む人が共同して、各行ごとに視覚的に良好な結果が得られる改行位置を決めていく方法があります。ただし、これは著者または編集者との合意が必要となります。強制改行を入れる必要があるわけですから、勝手に改行位置を操作しているとみなされる可能性があるからです。商業印刷物や広告、雑誌の記事などでは、そのような方法で、欧文のragged rightと同様の行頭揃え行末成り行きの組み方を採用している場合はあります。 > > このような理由から、和文を組む場合には、段落最終行以外は行頭行末揃えとするのが、基本的な原則となっています。この基本原則から逸脱することは、特別な用途やデザイン上の意図がなければ、ふつうはありえないと考えられます。 > > とはいえ、行頭行末揃えするよりも良い結果が得られる行末成り行きの組み方が、和文でまったくあり得ないわけではありません。しかし、それを実現するためには、個別の事例ごとに、著者、編集者と組版者間の入念なコミュニケーションと合意、そして、通常以上に時間と手間のかかる作業が必要となるでしょう。しかし、もはやそれは、どこでも実現可能なものでも、自動処理が可能なものでもなくなり、美術工芸的な手仕事を要するものとなってしまいます。だから、行頭だけを揃える組み方は現実的ではないと、私は考えます。 > > 以上、長くなって申し訳ありません。 > > 山本太郎
Received on Monday, 11 July 2022 11:34:58 UTC